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「失われた時」の発掘に成功? そっ閉じ文学の代表作家、マルセル・プルーストが動く姿を捉えた映像が仏で見つかったそうです

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超長編小説『失われた時を求めて』。タイトルだけは知っている。という人や、最初の40ページぐらいは頑張って読んだ記憶がある。という人も多いのではないでしょうか。

 

わたしも、その口で「マドレーヌを食べていたら子どもの頃を思い出した」というエピソードを知っているぐらいで、読むスピードと同じ速度で物語が進行していく。という難儀な文体というか、展開に――

 

とにかく一杯文字が書いてある

 

という印象だけを残して、そっと本を閉じました。

 

 

見つかった映像はコレだ!

今回発見された映像は、フランスの「Le Point」にて公開されており、動画が始まって35秒ぐらいのところで、階段を降りてくるシルクハットの男性が『失われた時を求めて』の作者、マルセル・プルーストだそうです。

www.lepoint.fr

 

AFP通信の翻訳によると、同フィルムを発見した研究者のコメントとして

プルーストにとっては、こうした身なりや所作が人目を引く優雅な方法だったのかもしれない 

と書かれていますが、いまひとつピンときませんでした。

 

フィルムのコマが飛んでいるせいかも知れませんが、ほかのアベックが優雅に歩いているのに比べて、プルーストは孤独にセカセカと歩いている感じ。

どちらかと言えば、オタク系あるいは、キョロ充的な雰囲気を醸し出しています。

 

ただし、当時の作家・アーティストといった人物は作品を残すだけでなく、「生き方」そのもので芸術を体現していたので、(現代に生きるわたしにはわかりませんが)服装や物腰に、ほかとは違う特徴があったのかも知れません。

 

このスタンスは今でも名残りはありますが、やはり20世紀ぐらいで終わったと言えるでしょう。日本では岡本太郎、仏ならパブロ・ピカソぐらいが、いわゆる一般人とはかけ離れた ”奇行” を自分で演出する代表者だったように思います。

 

 

日本でも文豪は目立つことをしていた

坂口安吾は随筆の中で、

織田作之助はヒロポン注射が得意で、酒席で、にわかに腕をまくりあげてヒロポンをうつ。当時の流行の尖端だから、ひとつは見栄だろう。

と評し、伸ばした前髪をパラリと払いのけて革ジャンの袖をまくり上げ、人前で粋にヒロポンを打っていたオダサクのことを、ほかの作品の中でも残しています。

 

また、同世代の作家であれば、太宰治の色恋沙汰も知らない人はいないでしょう。今の言葉で言えば「エッジの効いた生き方」で、作品と自分を残していったのだと考えられます。

 

それが、昭和の終わりに差し掛かりバブル期に入ると、村上龍のようにメディアと一緒になって成長する作家も生まれます。

 

テレビや雑誌を背景に「世界を歩く」わけですから、スポンサーの手前奇抜な行動は取れませんし、その必要もありません。こういった時代の移り変わりは、横山やすしのような芸人が「昔のタイプ」になっていったのと同じでしょう。

 

龍さんの場合は今でもテレビで活躍しながら、根幹の小説では優れた作品残していますが、タレント業に忙しく筆をおいた作家も少なくありません。

 

そして現代では、個人が個人の力で世の中に露出できる環境があるため、Twitter の投稿から作家デビューする人も珍しくないですね。

 

ただし、何でもありの世界になっているので、お笑い芸人でさえ「奇行」で自分で売るのが難しくなっており、「奇行」は、さまざまなしがらみがなく自由に表現できる ユーチューバー の独壇場です。

 

わたしには理解できない世界ですが、小学生が「ヒカキンさんみたいになりたい」とユーチューバーを目指す姿を見ると、わたしはすでに次世代アートについていけない老いた感覚になってしまっているのかも知れません。